センチメンタルグラフティ外伝「三たび…東京」 あとがき
寒中お見舞い申し上げます 2008/01/29(Tue) 17:09 2997
こんにちは。
エルウィン様、年賀メールをありがとうございました。
報告が遅れ、今回のタイトルの通りになってしまいまして、申し訳ありませんでした。
さて、今年もひと月が経とうとしていますが、2008年の私の抱負(といいますか目標)は、センチのSSの執筆です。
昨年、[センチ巡礼スレッド・その5]([2820]〜)で少し触れましたが、案としては以下のふたつがあります。
●センチを主人公サイド、もっと言えば彼の親の立場から見たストーリー
●オリジナルキャラ・「光村むつみ」を主役に据えたストーリー
これらのうち、まず着手したいのが、前者の「主人公の父親のストーリー」で、一応、彼の自伝という形で書く予定でいます。
前記スレッド内の、[2906]にあるように、父親はシンガーソングライターという設定なので、オリジナルの歌をネタとして使いますが、この掲示板上でこれまでに書き込んだ、「12都市・12歌謡シリーズ」だけでなく、複数の歌詞を用意しています。
今のところは、そういった構想でいますが、詳細は追って申し上げていきたいと思います。
それでは、本年もよろしくお願いします。
新たな視点 2008/02/09(Sat) 11:20 3011
こんにちは。
[2997]で、「センチの“主人公の父親”のストーリー」を書きたいとの旨を申しましたが、その理由について今回は少し触れてみます。
まずひとつは、センチ本編のストーリーに関することです。
センチは、主人公が「小学・中学時代に全国を転々とした」ことが基本設定ですが、どの作品(公式・二次創作いずれも)を見ても、その理由が「親の都合」であることは一致しています。
主人公本人に原因があるわけではない、ということですが、そうなると、主人公の親は、センチの物語を作った「立役者」と言っていいでしょう。
その前提のもとで話を書いてみたい、と私は思いまして、これが一つ目の理由です。
もうひとつは、センチの二次創作をとりまく状況です。
先月(1月)の22日で、センチのゲーム(SS版)の発売日から丁度十年が経ちましたが、同人誌などの二次創作はというと、そのゲーム発売の頃か、ないしはもっと早くに始まっていたかもしれない(センチはゲームが発売される前から人気が盛り上がっていたため)とも考えられます。
私自身は二次創作などの活動はしていませんでしたが、他の方々の書かれた同人誌や、ネット上のSSなどは数多く見てきました。
で、その総合的な感想はというと、「もし自分が書くとしたら、先人と同じ発想では太刀打ちできない」というのが正直なところでしたので、それならばと趣向を変えて、これまで触れられていなかった「側面」を書いたらどうかと思い、「センチの主人公の父親の視点」が頭に思い浮かんだ──というわけです。
「父親視点」で書く主な理由は、以上のふたつですが、現在、それらにのっとって構想を進めております。
二次創作小説、スタートです 2008/04/30(Wed) 06:43 3123
おはようございます。
かねてより予告申し上げておりました、「センチの“主人公の父親”のストーリー」を、ようやく書き始めることが出来ました。
昨日の更新(エルウィン様、ありがとうございます)で、[二次創作小説]の[投稿作品]コーナーの最下段にUPされておりますので、よろしければ御参照下さい。
その『センチメンタルグラフティ外伝 三たび…東京』ですが、この[序章]は、かなり唐突に始まっていますので、いくつかのポイントを御説明します。
●主人公の父親の名前は、「秋村稔」と設定しました。
よって、主人公の姓も「秋村」です。
匿名方式(小説版『約束』『再会』のように)で書くのは不可能と判断いたしましたので、命名をしました。
●その「秋村稔」の職業は、予告通り「プロ歌手」です。
一応、それなりの有名人という設定です。
●「緑が丘」に自宅があるという設定は、小説『再会』に倣いました。
●このSSは、「2015年に書かれる」「主人公の父親(=秋村稔)の自伝」という体裁です。
近いとはいえ未来のことですので、内容に憶測も多々入ることが予想されますが、御了承下さい。
とりあえずは、この「序章」で明かされた設定をデフォルトにして、書き進めていこうと思いますので、御付き合いいただければ幸いです。
第3部に突入です 2010/01/21(Thu) 19:19 No.4080
こんばんは。野比与太郎です。
あけましておめでとうございます、はもう遅すぎのようですので、寒中お見舞い申し上げます。
さて、センチSS『三たび…東京』は、昨年末に[第2部]が完結し、年明け最初になる、今回の新章『旅のはじめは杜の都』から[第3部]に入ります。
私事で、年末年始は仕事の繁忙期でしたが、その合間をみて、センチの小説『約束』を何度も読み返していました。
構想にオリジナル要素の多い、青森にいた頃の[第2部]に対し、全国をめぐることになる[第3部]に関しては、原作への理解が深くなければ書けないと思ってのことです。
で、今回UPの章ですが、タイトルからいうと[仙台編]でありながら、大半は青森を去るときの描写からなっています。
これは[第1部]から[第2部]への移行のときとも共通していますが、あえて早目に切って緊迫感を持たせたつもりです。今回の場合、行先を隠して終わらせ、章が代わって舞台をいきなり仙台に移したことで、間延びは防げているのではないかと思っております。
そして、仙台での話はこの章限りで、次章は札幌編となりますが、この[第3部]は、一部の例外を除いては一都市一章のスタイルでいくつもりです。
最後に、今年の抱負として、2010年内にこの[第3部]を完結させることを挙げたいのですが、ペースとしては1ヵ月あたり2章のペースでいけば可能だと、そう考えております。
それでは、今年も『三たび…東京』をよろしくお願いします。
あくまで、父親の視点で2010/02/11(Thu) 07:52 No.4100
おはようございます。野比与太郎です。
センチSSの新章『北都に冬が来る前に』を書きました。
予定では、前章『旅のはじめは杜の都』に続いて今章も1月中に書き上げるつもりだったのですが、およそ1週間ほど延びての投稿になりました。
さて、今回はセンチの主人公・進の骨折の話がメインになっています。
もともと、このSS『三たび…東京』は、センチの主人公の父親・秋村稔の自伝という体裁で書き進めていますが、その稔にとっては北海道にいた頃の一大事だったのでしょうから、話の題材には当然するだろうと考えました。
そして、この話を書くにあたっては、骨折に関する知識もある程度必要になるので、その資料にもアクセスしました。私自身は骨折の経験はなく、どれほど痛いものなのかについては知らないのですが、考証と推測によって書きました。
また、この章ではもう一人の当事者・沢渡ほのかについては名前を伏せていますが、これも文章が「秋村稔」の視点からのものであるからです。実名を挙げてしまうと差し障りがあると稔は判断しそうだと思って、そうしました。今後、進は行く先々で女の子(センチのヒロイン)と出会って付き合うのですから、ある意味妥当な処置といえます。
次章は、今月中に提出する予定です。
それでは失礼します。
春休みの陸上大会 2010/02/28(Sun) 08:52 No.4112
おはようございます。野比与太郎です。
センチSSの新章『朝のミナミの街角で』のUPです。
青森→仙台→札幌ときて、今回は大阪編ですが、移動に初めて飛行機を使ったという設定にしました。
距離的に遠いから、ということももちろんありますが、それだけではなく、主役の稔にとっても大きな意味を持つ移動であったのではないかと考えたからでもあります。
本文に書いたとおり、稔は子供の頃に民謡の巡業で東北と北海道をまわっていて、仙台や札幌は知っている街でした。しかし全国をまわるという決心をした以上、未知の土地へもこれから行かなくてはならいわけで、その手始めに大阪が選ばれた、ということでもあるのですが。
今章を書くのを必要な考証は、冒頭の空港と飛行機に関することや、札幌と大阪の気候の違いなどでした。
前者については、そのころの時刻表からデータをとったもので、新千歳空港が1988年に開港していたことや、大阪国際空港(通称・伊丹空港)までのフライトが2時間弱ほどであったことなども知りました。
後者の気候の話は、大阪の御堂筋に街路樹として植わっているイチョウに着目して検索しましたが、気象庁に「黄葉前線」という指標があるのを大いに参考にしました。
また、大阪で流しの歌手の仕事をまたやることになった稔ですが、朝帰りの時に息子の進と夏穂にばったり会うというのは、個人的にはだいぶ前に思いついていた設定で、あまり無理はないと思っています。
ただ、陸上大会の開催がいつごろかという話は、頭を悩ませました。3月に行うとなるとどういう設定にしたらいいかと、いろいろと考え、やっと「春のセンバツ高校野球」になぞらえることにしました。御存知のように、春の大会は夏と違い、「新2年生」と「新3年生」のみ出場するのですが、同様の設定を今回のSSに持ち込むしかなかった、というのが実情です。
次章は、早ければ次の週末に提出できるかもしれません。
それでは失礼します。
クラブ…実際に行ったことはないですが 2010/03/22(Mon) 07:59 No.4139
おはようございます。野比与太郎です。
センチSSの新章『京都祇園のクラブ歌手』のUPです。
前回、「早ければ次の週末にも提出できるかもしれません」と申しましたが、2週間近く遅れてしまったことをお詫びします。
その遅れた原因ですが、書いてみると難しい章だった、ということだと思っています。
まず、今章で稔が初めて経験する「クラブ歌手」について、考証の必要がありました。
私自身、「流しの歌手」もそうですが、この「クラブ歌手」についても、実際に会ったことはないため、資料をあたってみなければならず、主にプロ歌手の自伝などを参考にして書いたのですが、章内の説明でお分かりいただけたかどうか、心もとない面があります。
また、稔をひいきにする、クラブの客として出てくる理事長氏ですが、話の舞台が京都なので、言葉も本来なら京言葉になるはずです。しかし私はそれをよく知らないため、中途半端に書いて違和感を感じさせてしまうよりはと思い、「次のような“内容の”会話」として、標準語で表記しました。
それらをはじめ、考えなければならないことがいろいろあったことで時間がかかった、と申しておきます。
それでは失礼します。
ストーリーの難所越え2010/04/21(Wed) 06:45 No.4169
おはようございます。野比与太郎です。
センチSSの新章『名古屋から東に顔を向けて』です。
前章『京都祇園のクラブ歌手』を投稿したのが3月20日でしたが、それから1ヶ月近く近くかかってしまいました。
それほどに遅れた理由は、SSの内容そのもののみならず、私自身の事情にもありました。
4月初頭、私はある知人から、青春18きっぷの余り2日分を譲り受けました。
関東ではその頃、遅れ気味だった桜が満開を迎えようとしていましたので、「花見の旅」をしようと考えました。
まず、4月3日は佐原・香取神宮・鹿島神宮などを経由し、最後は銚子まで行き、(別料金ですが)銚子電鉄にも乗りました。
そして切符の有効期限最終日の4月10日は、熊谷・高崎・前橋・伊勢崎・桐生・足利・小山と、両毛線を利用しての北関東めぐりを行い、締めで宇都宮餃子を食べました。
また、それ以外にも、4月4日にはやはり桜目的で、鷲宮・越谷・浅草・上野に行きました。
そのような感じの週末でしたので、SSのほうの執筆が遅れたというわけです。
また、今章の内容についても、書くのに難しい点が多々ありました。
特に、大阪・京都で歌手の仕事が順調だった稔が、なぜ東京での就職をめざしたのか、その理由を説得力のあるものにしないといけなかったので、いろいろ考えました。
結局、「順調すぎると転落が怖い」ということを、稔の過去を持ち出してきて何とかまとめました。
また、名古屋に来た理由も、歴史絡みで書きましたが、その考証の必要がありましたし、中卒の稔が普通に就職できるのかという疑問もあり、今章はやっとの思いでできたというのが正直なところです。
次章は、できたら4月中、GWの連休の前に提出したいです。
それでは失礼します。
中卒のサラリーマン 2010/05/08(Sat) 18:38 No.4181
こんばんは。野比与太郎です。
センチSSの新章『35歳の新入社員』についてです。
今回はコメントがやや遅れましたが、私事ながら、5月1日から5日まで旅行に行っておりまして、その後の整理や休養をはさんで、書き込みが本日になりました。
旅行先は秋田で、マリロワの聖地として羽後町に行くのが今回の目的の一つでしたが、五能線を乗り通して弘前にも行きましたので、センチと全く無関係というわけでもない旅でした。
また、今年は東北は寒さが長引いて、例年より桜の開花が遅れたために、GWがちょうど見頃だったのも幸運だったと思っています。
さて、本文のほうですが、秋村稔が音楽出版社に入社するところを書きました。
『隅田音楽出版』とはむろん架空の会社で、モデルもありませんが、「中卒の稔が就職できるのか」という点でツッコミが来そうで、実際はかなり可能性は低いものと思われます。
それでも、その就職も先々の伏線としたいために入れた要素ですので、以降どう影響してくるか、御期待下さい。
また、申し訳ありませんが、次章は今月(5月)には書けないかもしれません。
理由のひとつは、次章はいよいよ「あの人」を登場させる予定ですが、オリジナルキャラながら、このSS『三たび…東京』での最重要人物のひとりとなりますので、章としてもひとつのハイライトとなるでしょう。そのため、いい加減には書きたくないという気持ちがあり、投稿までにあとひと月ぐらいかかってしまうかもしれない、ということです。
それともうひとつは、センチではありませんが、マリロワ絡みでの即売イベントが6月にあることで、一般参加のみならず、サークルとしての申し込みをしており、同人誌を販売することを予定しています。
即売会のHPは、以下にUPしておきます。
http://marripa.com/
そのようなわけで、次回投稿は6月になる見通しですが、なんとか5月中にも書けるように努力はしたいです。
光村むつみの登場 2010/07/03(Sat) 11:31 No.4210
こんにちは。野比与太郎です。
センチSSの新章『浅草の、その日』、ようやく書けました。
前章『35歳の新入社員』を書いたのが4月末でしたので、2ヶ月かかったことになります。
その間、5月にはGWに秋田旅行、そして同人誌の制作に費やし、6月6日のイベント後は、同人誌同封で電撃Gsマガジン編集部に郵送する手紙の文面を考えるなどしていましたので、ようやく一段落ついた月末に何とか書き上げられた、ということです。
さて、今回の内容ですが、実はこの章を書くのは個人的に楽しみにしていました。
やっと浅草の話が書ける、そして「光村むつみ」を登場させられる、と心待ちにしていたのが正直なところです。
舞台となった『浅草演芸ホール』へは、以前何度か寄席を観賞したことがあり、その思い出が今回大いに役立ちました。
そしてまた、設定上の『三たび…東京』の著者である秋村稔が「運命の日だった」と何度も言っていますが、今後むつみがどのようにストーリーに関わってくるのか、それに注目していただけたら、と思います。
なお、光村むつみがどのような人物かについては、下記の記事をお読み下さい。
http://www.chikimato.net/sentsuku/tokyo.htm
もうだいぶ前になりましたが、HPの管理人のON氏にデータや説明文を送り、それらをもとに描いていただきました。
で、勝手な注文かもしれませんが、ふぃろもるふ様の持ちキャラである「音無瀬千頭流」のように、アイコンにしていただければ嬉しいですので、時間がありましたら、よろしくお願いします。
リアリティの希薄な話 2010/07/18(Sun) 10:05 No.4222
こんにちは。野比与太郎です。
センチSSの新章『100万円の退職金』です。
秋村稔が、100万円の現金を目の前に出され、それと引き換えに退職するか、もらわずに残留するか、の二択を隅田音楽出版の社長から迫られるという場面ですが、書いている私から見ても、現実味のない話だな、と感じてしまいます。
そもそも、入社してから4ヶ月しかたっていない者に、辞めることが条件とはいえ100万円も出すのかという点で、あまりにファンタジーではないのかと言われては、返す言葉がありません。
とはいえ、稔が歌手という顔も持っているという点で、普通のサラリーマンとは異なっていることから、こういう展開もありかもしれない、と思っていただければ、こちらとしても嬉しいです。
そして今回の話も、この先の伏線として張ったものでありますので、ご期待ください。
優の父親2010/07/29(Thu) 06:26 No.4233
おはようございます。野比与太郎です。
センチSSの新章『広島の夏』を書きました。
秋村稔が東京を離れ、ふたたび全国巡りに戻ることになりました。
オリジナル要素の強い東京での話から、これからまた、センチ原作で書かれた内容を踏まえての話になっていきます。
そしてこの章ですが、「七瀬徹」と名付けたその人物は、いうまでもなく七瀬優の父親です。
原作の小説『約束』によると、優の親は「著名な音楽家」とありましたので、それを生かして書こうと思いました。
まず、「1933年生まれ」と設定したのは、優はどちらかというと、父親の年齢がわりに高くなってから生まれた子という感じがしたからですが、それと、「戦災孤児」という要素を含めたかったのもありました。
『約束』の優の章の冒頭に、ロンドンやウィーンというヨーロッパ巡業をしていることが描かれていますが、そのように国際的な音楽家が東京には住まずに広島にいるのはなぜかと考えてみたところ、広島という土地に何らかの強い思い入れがあってのことではないか、そのように推測して導き出した結論です。
で、センチで広島の次は長崎ですが、そう移った理由は比較的推測が容易でしょうが、その話は次章をお待ち下さい。
千曲ある、長崎の歌の中から 2010/08/26(Thu) 18:15 No.4269
こんばんは。野比与太郎です。
センチSSの新章『歌の街・長崎』です。
前章のUPから1ヵ月近く間があきましたが、勤務先での昇進試験や、打ち続く暑さなどで疲れていたことが主な理由です。
それでもなんとか、8月中に1章書けたことで、執筆における「12都市巡り」の年内完成が視野に入ってきました。
さて、「広島」と「長崎」のふたつの地名を並べると、イメージとして浮かぶのは“それ”以外ありえない、というのが正直な所で、これは前回のレスの最後で少し申したとおりです。
そこで展開に用いたのが、小説の原作と歌がある『長崎の鐘』なのですが、秋村稔が歌手であることから、話としてはこれである程度スムーズに流れるのではないか、と思います。
それでは失礼します。
兼六園の美由紀 2010/09/18(Sat) 09:27 No.4294
こんにちは。野比与太郎です。
センチSSの新章『兼六園の菊桜の下で』のUPです。
センチの主人公が全国を転々とした経過で、「青森・仙台・札幌」「大阪・京都・名古屋」「広島・長崎」はそれぞれ共通項があり、転居の理由に盛り込んできました。
ではその後、金沢からはどのような意図で巡るのか、それは明確な方向性が見えなかったので、とりあえず金沢行きについては、三文豪の話を使い、前章の『長崎の鐘』から文学つながりで導き出しました。
一方、後半の兼六園の話では、保坂美由紀の名前が出てきましたが、これは今後の伏線となるのを予定していますので、どう登場するかの予測も込めて、お知り置きください。
それでは失礼します。
横浜に来た理由 2010/10/11(Mon) 10:03 No.4341
こんにちは。野比与太郎です。
センチSSの新章『ハマの移ろい』を書きました。
『三たび…東京』の第3部におきましては、センチの主人公の父親・秋村稔が、行く先の土地をどのように選んだのか、それを私なりに推測するのが最大のテーマですが、この横浜は難しいというより、「いったい、なんでここにしたんだろうか?」と首をひねらざるを得ない面があります。
センチに横浜という土地が出てきた理由については、源流の『卒業』シリーズの清華女子高の所在地が横浜で、そこをまたセンチでも使うことにしたという事情があるのは察していますが、主人公一家の移住先としては「ちょっと、東京に近すぎるな」と正直、思いました。
それでも、その横浜に移った理由をなにか設定しなければならないと、いろいろ考えた結果、本文にあるように「客との会話の中の言葉」とし、話を作りました。
そして、その横浜でどんなことがあったか書くに当たり、設定上の在住期間である1993年の出来事を、ネットや古いガイドブックなどで調べて盛り込んでいきました。
文中で、「節目の年」という言葉も使いましたが、客観的にどうかはともかく、「秋村稔」がそう思ったと、解釈していただければいいと思っています。
それでは失礼します。
高松にて思う、故郷青森 2010/11/06(Sat) 08:08 No.4382
おはようございます。野比与太郎です。
センチSSの新章『橋を渡って高松へ』です。
タイトルどおり、この章では「瀬戸大橋」をテーマにしています。
ゲーム版センチの設定の通りに、主人公が1998年3月に高校卒業するものと考えると、高松に在住していたのは1994年の4月からの半年となりますが、当時は本州・四国の連絡橋で開通していたのは岡山・香川のルートのみで、その重要性や便利さが、主人公の父親が四国の中でそこを選んだ理由なのではないか、と思って話を作りました。
また、その高松との比較で話に出したのが、秋村稔の故郷である青森市ですが、かつて連絡航路の港であったことが共通しているところに着目し、昔を思い浮かべている様子を描写しました。
そして、章の最初と最後では、うどん屋が舞台ですが、まったりと名物を食べているのが似合う土地柄かな、と思い、そう設定しております。
それでは失礼します。
第3部、完結です 2010/11/27(Sat) 09:24 No.4390
こんにちは。野比与太郎です。
センチSSの新章『博多に来ていた、あの男』を書きました。
この章で「あの男」とした「大月豪」なる人物について、御記憶の方はいらっしゃるでしょうか。
SS『三たび…東京』の第1部で、上京してきた秋村稔を上野公園で見かけ、流しの歌手の仕事に誘った人物ですが、この機会に読み返していただければ嬉しいです。
稔と豪は、十年以上の時を経ての再会ということになりますが、ゲーム的にいえば、フラグの回収がここでなされたといえます。
さて、青森を出てはじめに仙台、そして札幌、大阪…と続き、福岡まで来たこの章をもって、第3部は終了となります。
そして、第4部の開始は年明けになる予定で、私自身の仕事が年末年始は忙しくなるという事情からそう決めました。
いましばらくは、これまで書いてきた文章を読み返し、内容の理解と修正箇所の摘出をしていこうと思います。
それでは失礼します。
第4部のスタートです 2011/01/19(Wed) 18:57 No.4417
こんばんは。野比与太郎です。
センチSS『三たび…東京』の新章「友情のモツ鍋」を書きましたが、この章から[第4部]に入ります。
昨年の11月下旬に、[第3部]の最終章「博多に来ていた、あの男」をUPしてから、ふた月近くブランクがありましたが、その間、私がこれまでに書いてきた文章を読み直し、執筆再開へ向けて準備を進めていました。
年が明け、1月も半ばを過ぎてようやく[第4部]に突入することができましたが、秋村稔と、「博多に〜」の章で久しぶりの再登場となった大月豪とのモツ鍋屋での会話を描きました。
東京でふたりが別れたのが20代初頭の頃で、この福岡での再会の時には30代の後半となりましたが、書いている私の実年齢と近くなったせいか、前より多少書きやすいような気がしました。
それに比べると 昨年書いていた、日本全国を稔と進の父子が転々とする話は書いていて大変でしたが、「なぜ、その土地を選んだか」の理由付けや、各地の地理的考証、それも1990年代前半まで遡ってのものが必要だったことなどがその理由です。
何とか、仙台から福岡まで、1年間の期間で書き上げることができましたが、ある意味私にとっても、修行の一年だったような気がします。
そして、[第4部]は、入り口の説明にあるように、稔がCDデビューを果たすことになるのですが、どのような形でそれが実現するのか、ご期待ください。
それでは失礼します。
自宅マンションで吹き込み 2011/01/26(Wed) 09:50 No.4423
こんにちは。野比与太郎です。
センチSSの新章「宅録の10分テープ」をUPしました。
前章でモツ鍋を一緒につついた大月豪が、東京に帰って所属の唱道興業に秋村稔のことを報告し、それを受け、事務所が福岡にいる稔に、テープなどを送るよう要請した──ということが、この章から読み取れるものと思われます。
そこでテープに吹き込むにあたって稔が選択した歌が『無法松の一生』『望郷じょんから』の2曲だったのですが、これらの歌は皆様は御存知でしょうか。
オリジナル歌手はそれぞれ、村田英雄と細川たかしですが、曲名でyoutubeなどで検索すると出てきますので、この機会にお聴きになってみるのもいいかと思います。
では、稔が自身歌唱のテープを唱道興業に送ってどうなったか、それは次回以降に書きます。
それでは失礼します。
90年代の折り返しの出来事 2011/02/02(Wed) 18:40 No.4434
こんばんは。野比与太郎です。
センチSSの新章「喉とギターで本人確認」を書きました。
この章では、1994年の年末から1995年の1月の時代設定になっていますが、それに関しての話がいくつか出てきます。
まず、「バブル崩壊」について触れましたが、ある日突然に景気が転落したのではなく、徐々に退潮していったというのが正しいというのは、当時のことを調べてみてそういう記述が多かったので、それにもとづいて書きました。
また、1995年の1月といいますと、17日にあの阪神大震災がありましたが、私はこの章の構想に入った当初はそれに気づかず、うっかり「博多から新幹線に乗り…」と原稿に書いてしまいました。
そして、当時のことを調べているうちに、震災があったことを知り、移動手段を飛行機に書き換えました。
次章は、稔の歌作りの話になりますが、それは私がこの『三たび…東京』で最も書くのを楽しみにしていた話のひとつですので、ご期待ください。
それでは失礼します。
『三たび…東京』歌詞集 2011/02/05(Sat) 16:05 No.4435
こんにちは。野比与太郎です。
現在執筆中のセンチSS『三たび…東京』ですが、このたびの更新で、「歌詞集」が加わりました。
一番最近の章「喉とギターで本人確認」の中で、稔が歌作りをレコード会社に要求される場面がありますが、現在はその作る様子を構想中で、次章で描写することになります。
その稔の作る歌ですが、はじめはフルコーラスを文章内に挿入することを考えていたものの、それだと話のテンポがいささか悪くなってしまう、つまり間延びしてしまうと思い、本文とは分けて掲載していただくことにしました。
また、もともとこの『三たび…東京』自体、「秋村稔」という一人の男の自伝という形式で書いていますから、一冊の本にすることを想像した場合、歌詞は巻末の別掲になるのが普通だと考えられます。
ただ、歌詞は載せられても、楽譜はここでは掲載が難しいですので、メロディーを知りたい方には申し訳ないですが、将来的に紹介方法を思索中であるとだけ、申しておきます。
なお、掲載する歌詞については、私(野比与太郎)が自ら作詞したものに限り、既存の歌については一切出しません。
これはもちろん、著作権の問題によるもので、例えば現在の[第4章]でいうと、稔が宅録した『無法松の一生』や『望郷じょんから』などは載せるわけにいかず、それらについてはYOUTUBEなどをはじめ、ネット上で検索していただければお分かりになると思いますので、興味のある方はそのようにお試しください。
そして、今回掲載の2篇『東京の雪』『ふたたび…東京』をどのようにして稔が書いたか、ご注目ください。
それでは失礼します。
キーボードでの作曲 2011/02/08(Tue) 06:26 No.4436
おはようございます。野比与太郎です。
センチSSの新章「初めての歌作り」をUPしました。
[No.4435]で、歌詞集の枠が新たにできたと申しましたが、今章はその中に掲載されている『東京の雪』『ふたたび…東京』のフルコーラス分を御参照の上お読みいただければ嬉しいです。
また、大月豪から秋村稔にあててキーボードが送られた話も出てきますが、これは私(野比与太郎)が作曲に使っているのがやはりキーボードで、 白鍵が19あるというのも、自分のものに合わせた設定にしています。
そして、「歌謡曲の音域」にも言及していますが、ボーカルについてはだいたい、10〜13ぐらいの範囲に収まっている歌がほとんどで、14以上あるのは私が見てきたものの中では、だいぶ限られているようです。
なお、もう1曲の『忘れえぬ街』については、今回は歌詞集に載せませんでしたが、いずれ回を改めての掲載となりますので、公開は今しばらくお待ちください。
それでは失礼します。
福岡の「彼女」 2011/02/12(Sat) 17:45 No.4438
こんばんは。野比与太郎です。
センチSSの新章『進の高校選び』を書きました。
センチの主人公も、福岡に来た時にはもう中学3年の2学期、高校受験に備えるべき時期を迎えていました。
では主人公はどこの高校を受けたのか、それを考えた場合、まずセンチ本来の設定から、東京の高校は確実に受験したのでしょうが、その一方で、松岡千恵と一緒に地元の福岡の学校・黒曜館高校にも行きたくて受けたのもまた、濃厚な線です。
その千恵ですが、この章の終盤で、名前を匿名として特徴を描き出したのですが、センチの主人公の父親・秋村稔の自伝という、この『三たび…東京』の本来の設定上、実名は出せないでしょうから、主人公・進の「彼女」とだけ書き、それに伴い高校名も、「黒曜館」の実名を出さず、「K高」としました。
この「進の高校受験」の話は、今回が前編、次回が後編となる見通しです。
それでは失礼します。
題名のふたつの意味 2011/02/22(Tue) 05:14 No.4446
おはようございます。野比与太郎です。
センチSSの新章『進が受験で東京へ』をUPしました。
この章については、題名の話からさせていただきます。
本文を書き終えた際、題名をどうするかというのは毎回それなりに考えることですが、当章に関しては、はじめは「福岡と東京、ふたつにひとつ」というのを考えました。
しかしそれだと抽象的で、何の話なのか分かりにくいと思い、別な候補をいくつか挙げているうちに、この「進が受験で東京へ」にたどりつきました。
この題名であれば、進が東京の高校を受験したことと、合格して東京に住むことが決まったことという、ふたつの意味を持たせることができ、自分でも納得のいくものになりました。
さて、本文の内容に話を移しますが、進が受験することになった二校、福岡のK高こと黒曜館高校と、東京の天河大学附属緑が丘高校についての志望理由の話が書かれています。
前者の黒曜館高については、センチの原作どおりの設定で、受験する経緯としてこんな話もあったかも、という書き方をしましたが、後者の天河緑が丘高については、私がこのSSのために考えた校名で、原作にはありません。
とはいうものの、天河大学と聞いてピンと来る方もいらっしゃると思いますが、これはセンチ2の主舞台となっている大学で、その附属高という設定で名前を拝借しました。
一方、後段の緑が丘という地名については、小説版に出てきた主人公の東京の住所がそこになっていて、目黒区に実在する場所でもあります。
このSSの第1部の序章で、設定上の『三たび…東京』の作者である秋村稔の家がそこにあることを書きましたが、ストーリー上に張った伏線のひとつと認識していただければ、と思っています。
それでは失礼します。
謝恩会ライブの裏側 2011/02/28(Mon) 06:22 No.4447
おはようございます。野比与太郎です。
センチSSの新章『福岡を発った日』を書きました。
小説『約束』において、主人公と千恵が中学の卒業式でライブをやる場面がありますが、そこに至るまでのいきさつをこれまで書いてきて、今回ようやく本番の日が来たことになります。
そして、会場に引越しのトラックが乗り付け、それに乗り込む形で主人公が千恵の前から姿を消すのですが、そこまでの過程もまた、この第4部で述べたような流れがあったのではないか、と私は考えています。
さて、稔と進が福岡を発ちましたが、やっとその飛行機に乗せることができたといいますか、第4部に入ってから7章を費やしました。
次章からは、ふたりの東京での生活が始まり、また稔についても、自作の歌でのCDデビューへ向けて活動することになりますが、その流れにご注目いただきたいです。
それでは失礼します。
自分の近所を舞台に 2011/03/09(Wed) 05:53 No.4453
おはようございます。野比与太郎です。
センチSSの新章『豪の三鷹の一軒家』を書きました。
東京にやってきた稔と進が向かった先は、唱道興業のマネージャー・大月豪の自宅だったというわけですが、場所を三鷹にしたのは、私の個人的な趣味によるものです。
というのも、JR三鷹駅は私の家の最寄り駅で、子供の頃から現在に至るまでよく利用しておりました。そのため、駅での待ち合わせの場面の描写がしやすいというメリットがあり、それを豪の自宅の場所の設定につなげた、というわけです。
しばらくは、この豪の家が舞台で、稔・進・豪の三人をメインに話が進むと思います。
それでは失礼します。
稔に夢を託す豪 2011/03/19(Sat) 08:03 No.4469
おはようございます。野比与太郎です。
センチSSの新章『豪がマネージャーになった理由』をUPしました。
この章では、歌詞について豪が稔に説明を求めることがおもな内容ですが、『東京の雪』の中で「ふるさと」のモデルにしているのが青森であることや、『ふたたび…東京』は稔の実際の人生とはやや相違はあるが、当たらずとも遠からずであることなどは、これまでに書いてきたことや、別掲の歌詞をお読みいただければおわかりになるかと思います。
また、タイトルにある、豪がマネージャーになったいきさつですが、師匠の作曲家にすすめられてなったのは、生来の面倒見のいい性格によるところが大きいと私は設定しましたので、それをもっと今後掘り下げていきたいと思います。
それでは失礼します。
伏線のひとつの回収 2011/03/23(Wed) 19:39 No.4470
こんばんは。野比与太郎です。
センチSSの新章『隅田音楽出版への再訪』を書きました。
タイトルに書いた「隅田音楽出版」は、稔が浅草のそばに住んでいた時の勤務先として以前出しましたが、そのような音楽出版社が持つ役割というのは、このSSを書くまでは私も特に知識を持っておりませんでした。
そこで、音楽に関する文献から知識を仕入れたのですが、レコード会社・芸能事務所・音楽出版社のそれぞれが役割を分担していることがわかり、それをごく簡単に豪の口から説明させました。
このような話を経て、少しずつ稔がデビューに近づいていく、と申しておきます。
それでは失礼します。
想像で描くレコーディング場面 2011/04/02(Sat) 07:37 No.4475
おはようございます。野比与太郎です。
センチSSの新章『吹き込みの日』をUPしました。
まず、作曲と編曲の境目についての話ですが、鼻歌だけでも作曲になるというのは、音楽関係のいくつかの本で目にしたことがあります。
自分では楽譜は書けなくて、スタッフに聴き取ってもらっているという話を、あるシンガーソングライターが自著で述べていることなども読み、参考にしました。
ちなみに私の場合の作曲法は、歌詞を読み込んだのち、キーボードを思いつくままに鳴らし、楽譜に書き取っていくのですが、コードがつけられないために「編曲」の部分までには踏み込めないでいます。
よって、この章で書いたような『東京の雪』『ふたたび…東京』の編曲済みカラオケについての話は、いままで既存の曲をいろいろ聴いてきた経験にもとづいて想像し、それなりに無難なまとめ方をしたつもりです。
これで一応、稔のデビューCDに必要な「音」は出揃い、新たな段階に進む過程を、次章以降に書きます。
それでは失礼します。
昔のレコードの表裏 2011/04/12(Tue) 05:56 No.4477
おはようございます。野比与太郎です。
センチSSの新章『音のほかに必要なもの』を書きました。
前章で、CDに収録する2曲をレコーディングした稔ですが、ジャケット写真や曲の扱いなど、ほかに必須の事項もあることをこの章でとりあげました。
2曲のどちらをメインにするかの話ですが、昔のレコードのAB面のことに話が及び、重視するほうの曲に関する話は、そこで書いたようなことが実際に行われていました。
結局、稔は決めかねて、両方同じ扱いにしようと豪やディレクターに言うのですが、この機会に別掲の歌詞をあらためて御覧になって、どちらを選ぶかお考えいただくのもいいかもしれないと思います。
それでは失礼します。
経歴の公称と実際 2011/04/18(Mon) 05:57 No.4478
おはようございます。野比与太郎です。
センチSSの新章『息子の進を甥っ子に』をUPしました。
この章では、タイトルにあるように、稔のデビューにあたって、息子である進を、稔の兄夫婦の子供、つまり甥という設定にしようという話が出てきますが、これは稔の経歴を詐称するものであるともいえます。
稔のデビュー曲の片方、『ふたたび…東京』の歌詞を見た場合、歌の主人公は独り者というイメージが強いものと思われますので、それに稔の経歴も合せてしまおうとディレクターが思いつくのも、スタッフとしてある意味妥当な判断ではないかと、私は思います。
もっとも、有名人の息子がそのことを隠してデビューするような場合でも、厳密には事実の隠匿にあたるのかもしれませんので、この章の最後一文にあるように、嘘が絶対的に悪いわけではなく、「嘘も方便」の面もあると思え、今回のようなネタを書かせていただきました。
それでは失礼します。